「熱いものを飲むとノドが痛い」その後、15時間の手術を受けることに 多くの病を抱えながらも屈強に今を生きる理由とは

「熱いものを飲むとノドが痛い」その後、15時間の手術を受けることに 多くの病を抱えながらも屈強に今を生きる理由とは
手術前病室での織田さん(織田英嗣さんより提供)

うつ病、がん、視覚障害と、様々な病に向き合うなかで、それに屈することなく人生を切りひらき「自分らしい生き方」を求める元プロボクサーの織田英嗣さん。

食道がんと診断され、緑内障により視覚のほとんどを失い、今後失明する可能性を抱えながらも「生きていられた副産物」と力強く語る織田さんに、これまでの人生とこの先描く未来について話を聞きました。

5年生存率20%の現実

織田さんが食道がんの診断をうけたのは、42歳のときでした。
「熱いものを飲むと、喉元が焼けるような気がする」織田さんにとって、少し気になる程度の予兆でした。
ガンはリンパ節に転移があり50か所以上を郭清、胃には転移の所見はありませんでしたが念のため1/3を切除。15時間にわたる大手術でした。

15時間に…た織田さん
15時間に…た織田さん

「がんを切除すれば治る」織田さんはそう思っていましたが、術後に医師から「5年生存率は20%」と、食道がんでリンパ節転移があった場合の現実を突きつけられます。
「食道がんは消化器のがんの中でも予後が極めて悪く、リンパ節転移が多い。また食道は他の消化器臓器と違い外膜がないため胃に浸潤しやすい」そう説明を受けました。

予想外の宣告を受けた織田さんは、食道がんについて自身で調べましたが、医師がいうのと同じように「予後は著しく悪い」という情報がほとんど。

調べた情報を持って医師に再度、生存率についての話を聞いた織田さん。医師からは「織田さんはリンパ節転移があり、そして若い。平均より生存率の数字が低くなる」と言われてしまいます。
また「若い人はがんの進行が早いため、3年以内の再発リスクが高い。術後の体力がもどったら、早めに再発予防の抗がん治療をした方がいい」とすすめられたそうです。

抗がん剤治療を断り、先が見えない日々

術前に抗がん剤治療を経験し、副作用と体力の低下を強く感じた織田さん。医師から抗がん剤治療をすすめられましたが、織田さんはそれを断ります。

抗がん剤の…る織田さん
抗がん剤の…る織田さん

術後、著しく低下している体力と、後遺症を抱えながらの抗がん剤治療には身体が耐えられないと思ったからといいます。
このとき織田さんは術後の後遺症で腸閉塞や※ダンピングによる低血糖・消化不良などを毎月のように発症しており、その1年後には2度救急車で緊急搬送されていました。

もうひとつの理由として「どうせ死ぬならその間の人生を治療に縛られて生きるより、自分らしく生きたいと思った」と話します。
このとき織田さんのお子さんは小学4年生と2年生。がんになる5年前に家を新築しており住宅ローンの返済も残っている状態でした。抗がん剤治療を断り先が見えない中で、がんに負けるわけにはいかない織田さんは様々な情報を自身で探し始めます。

手術前 病…ちと一緒に
手術前 病…ちと一緒に

※ダンピング症候群:胃の切除後の再建など、食べ物の流れを変えることにより、これまで胃の中を通っていた食べ物が直接腸に流れ込むために、めまい、 動悸 、発汗、頭痛、手指の震えなどの様々な不快な症状が起こることがあります。 これをダンピング症候群といいます。

NPO法人がんの患者学研究所

先が見えない状態だった織田さんがたどり着いたのは「NPO法人がんの患者学研究所」という、がん患者団体でした。そこで織田さんは、がんの原因になる食習慣や生活習慣、ストレスについて知り、再発予防策として徹底的に生活を見直します。

「とにかく健康にいいと思えることはすべてやった」と話す織田さん。特に意識したのは運動と睡眠、そして体を冷やさないことでした。
筋トレやランニングを毎日2時間ほど行い、夜は10時就寝、朝5時に起床という生活習慣に変えました。

会社を辞めたことで食生活も一変。サラリーマン時代は食品担当だったため接待が多く、おいしいものを食べ、お酒も浴びるように飲んでいたという織田さんは、お酒をやめ、現在まで玄米菜食を5年以上続けています。
生活スタイルを大きく変えるためには、パワーが必要です。織田さんはこのとき「生きる覚悟と死ぬ覚悟を同時にした」と話します。

「自分らしい生き方」をして「自分を好きになる」と決め、人間関係を断捨離した結果、ストレスも激減。身体とこころが大きく変わり、少しずつ再発への恐怖や不安がなくなったといいます。
「どうせ死ぬなら、それまで自分らしく生きて悔いを残さず、これはこれでいい人生だったと笑って旅立ちたい」という織田さん。

がんばって乗り越えたという意識は持っておらず、今の状態を俯瞰的に見て考え方と意識を変えたことで「がん」という岩石の向こう側に行く抜け道を探し当てたという感覚だといいます。

お子さんと…む織田さん
お子さんと…む織田さん

食道がんを克服した織田さんを襲う失明の恐怖

現在織田さんの視野は、中心部を残しその他の部分は黒く見える緑内障末期の状態です。
正常な視野を100%、完全に見えない状態を0%とすると、織田さんの視野は右目が24%、左目は8%で歩行には白杖が必要。車の運転はできません。

食道がんが見つかる前から緑内障の治療をしていた織田さんでしたが、がんが見つかり5年後の生存率が20%とわかったことで「生きているうちに失明ということはないだろう」と通院と点眼をやめました。

その後、令和4年の2月に視野が黒くなり受診したところ、緑内障末期と診断されたのです。失明する可能性と隣り合わせの中で生活する織田さんですが、緑内障の治療をしなかったことを後悔することはないといいます。

「緑内障はこれまで生きてこられたからこその副産物。がんの経験を通して、いつか見えなくなることに不安や恐怖を感じるより、見えている今をどう生きるかに焦点を合わせて今を楽しむことにしている」そう話します。

いつか失明するということを受け入れ、できることを今から増やし、見えなくなったときにどうしたら人生を楽しく生きられるかを視野に入れて生活しているといいます。

ボクシングへの思い

術後、自身の体と心に意識を向けたことで食道がんを克服したと語る織田さん。月日が経ち、講演会やセミナー、相談やコンサルの仕事が忙しくなり、再び生活習慣が乱れストレスを感じるようになったといいます。

55歳のとき、一度原点に帰って自分自身を整えるために時間と労力を使おうと、ランニングや筋トレを始めました。体が整った半年後、織田さんは20代の頃にやっていたボクシングにチャレンジします。もともとはプロボクサーの織田さん。中日本地区のライト級新人王に輝いた経歴の持ち主です。

織田さんにとってボクシングは自分自身を見つめ、確認する手段であり、精神を安定させるものだといいます。ボクシングで限界突破することにより、自分の可能性はまだ伸びしろがあると確認するために、欠かせない生活の一部となっています。

ブラインド…む織田さん
ブラインド…む織田さん

そんなボクシングへの思いは消えることはなく、現在もブラインドボクシングという形で続けている織田さん。もし失明したとしても体力が続く限りやっていきたいと話します。

「がんになっても明るく、楽しく、幸せに!」めぐみの会

織田さんは地元愛知県で「がんになっても明るく、楽しく、幸せに!」をスローガンに掲げ、がん経験者の会「めぐみの会」を立ち上げました。
「がんを治すこと」に焦点を当てるのではなく「がんになった人生をいかによく生きるか?」に焦点を当てて、がんを新しい人生の始まりと捉えることができるような機会と場所を提供する活動をおこなっていました。

がんになって不幸な気持ちでいる人の人生を、いい人生と感じられるように。そのきっかけの場として、めぐみの会では「めぐみ音」「めぐみ太鼓」「めぐみRUN」といった活動を運営。

合唱、和太鼓のチームを構成し、ホールを貸し切ってコンサートを開催したり、運動グループ「めぐみRUN」では、名古屋シティマラソンにエントリーしたりして活発に活動しました。
他にも、日進市にぎわい交流会という市が運営する交流会で毎週金曜日に「めぐみえん」としてカフェを開き、ランチ提供やランチ交流会を開催しています。

しかし、これらの活動は、新型コロナウイルスの流行により感染リスクを考慮したうえで活動を自粛。そうしているうちに会員数も減り、活動を大幅に縮小する選択を余儀なくされたといいます。

新たな冒険への準備

「めぐみの会」の継続が難しくなったことと、自身の緑内障の進行で移動が困難になったこともあり、織田さんは地元である東郷町に活動を拠点うつしました。
ここでは、がん患者だけでなく、高齢者や障がい者、生活弱者の方がよりよく生きられる地域づくりをするために「NPO法人ノーマCafé」を発足。

高齢者福祉、身元保証、配食事業、子どもの自然体験活動、オルタナティブスクール、多世代交流音楽活動やカフェ事業と様々な活動を実施しています。
そこでは、生活に困難を抱えている方に必要な情報が伝わりにくい現状の改善と、楽しく幸せと感じられるような機会に出向きたいが多くの人がそうできない状況や環境にあるという課題の解決が必要でした。

織田さんはそのような人たちに情報を届けるために、様々な方法で発信して広く知ってもらい地域に根付いた活動にすることを目標としています。そしてそのためにも、人と人とを繋ぐ場所と仕組み作りが必要だと話します。

人口4万3千人規模の東郷町であれば、実現できると考えた織田さんは「東郷ささえ愛家族」というプロジェクトを昨年開始。町民が家族のように、支えあい、助け合うことで、誰もが住み慣れた地域で最後まで普通に暮らせるようにすることを目標に活動を進めています。

いつか失明するであろう自分の人生に向けても、歩行訓練やパソコン・スマホなどのICTと点字訓練に通ったり、生活に欠かせないブラインドボクシングをしたりと、明るい未来を見越し、生活している織田さん。

「失明した後は今見えているものは見えなくなりますが、見えなかったものが見えるようになるかもしれない。そんな新たな世界を冒険の旅としてワクワクしながら楽しめるよう、意図的に想像しています」と語ってくれました。
「個人的にはこれから先、たとえ失明したとしても、最後まで明るく、楽しく、幸せな人生を送り『いい人生だった』と感謝して旅立つことが目標です」と話す織田さん。

うつ病、食道がん、視覚障害といったリスクに屈することなく、人と人との繋がりを感じ、楽しく幸せに生きてこられたのは人や活動団体との縁があったからこそだと何度も感謝を口にします。

織田さんの挑戦を惜しまないパワーと周囲の人たちへの愛が、今後はさらに大きな輪となり広がっていくことでしょう。

出典:公益財団法人日本眼科学会『緑内障』
https://www.nichigan.or.jp/public/disease/name.html?pdid=35
出典:国立研究開発法人国立がん研究センター がん情報サービス『食道がん』
https://ganjoho.jp/public/cancer/esophagus/index.html
出典: 国立研究開発法人国立がん研究センター がん情報サービス『ダンピング症候群』https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/modal/dumping_syndrome.html
出典:国立研究開発法人国立がん研究センター がん情報サービス『リンパ節郭清』
https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/modal/lymph_setsukakusei.html

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